2011年10月06日
瓦(かわら)のない屋根だった?
今帰仁城には瓦(かわら)が使われていません。発掘調査で瓦が出てこないのです。
屋根は板ぶきかカヤぶきだったのでしょう。それにしても、これだけの大きなグスクにもかかわらず、板やカヤぶきとは、お客さまも不思議に思われるようです。
今帰仁グスクを造営していた頃、隣の名護では瓦を焼いていたと言われますから、入手は可能だったはずです。
歴史家、上里隆史氏によると、琉球の古い瓦は14~15世紀頃の朝鮮系・ヤマト系の灰色瓦ですが、瓦ぶきの建物は珍しく、首里城と周辺・浦添グスク・勝連グスクの3ヶ所のみとのことです。

写真の赤がわらは、およそ17世紀後半に建てられた火の神の祠。この時代になってようやく瓦が使われたようです。
屋根は板ぶきかカヤぶきだったのでしょう。それにしても、これだけの大きなグスクにもかかわらず、板やカヤぶきとは、お客さまも不思議に思われるようです。
今帰仁グスクを造営していた頃、隣の名護では瓦を焼いていたと言われますから、入手は可能だったはずです。
歴史家、上里隆史氏によると、琉球の古い瓦は14~15世紀頃の朝鮮系・ヤマト系の灰色瓦ですが、瓦ぶきの建物は珍しく、首里城と周辺・浦添グスク・勝連グスクの3ヶ所のみとのことです。

写真の赤がわらは、およそ17世紀後半に建てられた火の神の祠。この時代になってようやく瓦が使われたようです。
Posted by usan at 12:07│Comments(0)
│今帰仁城はどんなところ?
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