2015年04月24日
銘刀千代金丸が今帰仁城へ戻ってきた!

今帰仁城伝説に登場する銘刀千代金丸が今帰仁城へ戻ってきました。北山王攀安知(はんあんち)が志慶真川に投げ、後に海岸で拾われた、という刀です。
このたび、今帰仁村がレプリカを作製し、歴史文化センターに常設展示されました。レプリカとあなどってはいけません。製作費は一千万円。長野県など3つの県にいる刀鍛冶に発注した特注品です。(博物館内は撮影禁止ですのでご注意を!)
その、伝説は次のようなものです。(今帰仁村文化財ガイドブックより)

北山王攀安知(はんあんち)は己の武勇にものを言わせ富を集めていましたが、国頭・名護・羽地の諸按司たちは不満を募らせていました。やがて、佐敷の尚巴志が台頭。
1416年、尚巴志の連合軍と攀安知は合戦を交えます。しかし、屈指の堅城で攻めあぐんでいたため、にらみ合いとなりました。そこで尚巴志は城中の大将で欲深い本部大原(もとぶてーはら)にワイロを贈り謀反を企てるよう誘いました。
翌日、本部大原は攀安知に「攻撃に出て、王は表、私は裏の敵を追い散らしましょう」と誘い、これを計略とは知らず攀安知は尚巴志の軍勢を深追いします。やがて、城中から火の手が上がるのを見てあわてて引き返すと本部大原が城門で「わが手に討たれよ」とさけび一騎打ちとなりました。
怒り狂った攀安知は先祖伝来の宝刀「千代金丸」で本部大原を斬り殺し、もはやこれまでと城の守護神カナヒヤブの霊石を切りつけ返す刀で切腹をしようとしました。しかし、これが切れなかったため志慶真川に投げ捨て、腰の小刀で切腹して果てました。後に千代金丸は志慶真川から拾われ、尚家に献上、天下の至宝として大切に保管されました。

千代金丸で斬りつけた御嶽(うたき)。霊石は失われている。
Posted by usan at 10:11│Comments(0)
│今帰仁城の伝説
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