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2009年07月29日

今帰仁城下は米どころ

今帰仁城が栄えていて頃、城下は米どころでした。
少し離れた名護市の羽地(ハネジ)も米どころでした。
お米がたくさん採れれば、城主は販売利益を上げ、高額所得を得るということになります。
米蔵には常に、たくさんの米が蓄えられている、、、そんな情景が想像できます。

親川は水田に水を供給した
親川は水田に水を供給した。現在も水量は豊富。


今帰仁城主であった、ハニシとハンアンチはハネジアジ(ハネジ按司=羽地按司)の読みが変化したもの、訛ったものと考えられるようです。

ハネジ按司は米どころを支配する按司ですから、米の取引による利益によって、力を蓄えていたのでしょう。今帰仁城を住まいとしていた今帰仁?按司を倒し、今帰仁城主となった、、、、とも想像できますね。

発掘された米
今帰仁城から炭化米(炭になった米粒)が出土しています。城主は米を食べていたことがわかります。

親川は潅漑用水
親川(エーガー)は水田の潅漑用水として使われたようです。現在でも水量は豊富ですから、当時は米を作るのに十分な水があったのでしょう。
親川は志慶真川の伏流水が湧き出したものといわれています。触ってみると少しひんやりします。



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