今帰仁ノロは今も健在
今帰仁ノロは今も健在です。
お年を召しているので、往年のような祭祀を行うことはできにくいのですが、ときどきは今帰仁城を訪れます。
今年2009年1月には、城内でグスク結婚式があり、ノロさんも元気な姿を見せてくれました。
今帰仁ノロを先頭に城門をくぐる結婚式の一行、2009年1月撮影
今帰仁ノロ、2008年に撮影した画像
今では、今帰仁城まで自動車を乗り付けることができますが、大正時代に馬車道ができるまでは、ハンタ道とよばれる登り道を歩いて今帰仁城まで登って来たわけです。年配のノロさんには、ちょっときつい登り道だったことでしょう。
あれ!ノロの屋敷は今帰仁城下にあったのでは?と思った方は、前回の記事をよくお読みになった方です。今のノロ殿内は、海沿いの集落にあります。(ノロ殿内はノロの邸宅のこと。海沿いの集落名を今泊とよぶ。)
今帰仁城下のノロ殿内は、集落移動する前のものなのです。
1609年の薩摩の琉球侵攻をきっかけに、城下のムラは、海沿いの低地へ移動した。これを、集落移動とよんでいます。
おそらく、馬車道ができる前の、大正期のノロは今のノロの義母だった。つまり夫の母がノロを務めていた。と思われます。
今のノロはノロ家にとついだお嫁さんなのです。
普通はノロを継ぐのは長女だが、継がない場合は嫁が継いだようです。
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