2009年03月21日
石を返したお客さん
今帰仁城の不思議はいろいろありますが、そのひとつ。
あるお客さんが封筒にいれた小石を送ってきました。
同封されていた手紙には、石は拾ってきてはいけないと友人に諭されたと書かれていました。
本来、今帰仁城のような文化財からは、たとえ小さなものでも持ち出すことは、文化財保護法で禁じられています。
あるお客さんが封筒にいれた小石を送ってきました。
同封されていた手紙には、石は拾ってきてはいけないと友人に諭されたと書かれていました。
本来、今帰仁城のような文化財からは、たとえ小さなものでも持ち出すことは、文化財保護法で禁じられています。

城内にはまだ崩れた石がたくさん見られます。
次のような話もあります。
今帰仁城がまだ今のように整備されていなかったころ、城内外には石がごろごろと転がっていました。
城壁が崩れ落ちた石だったのでしょう。
庭石にちょうどいいからと、何人かのひとが石を持ち帰りました。
ところが、一人残らず石を返しに来たのだそうです。
理由は、自分や家族に不都合が起きたから、というのです。病気やけがなどしたか、不幸があったのかもしれません。
今帰仁城は歴史からみても、二度大きな戦いがありました。
最初は、中山の尚巴志率いる3000名の連合軍が、今帰仁城を攻めたのが1416年(1422年説もある)。
2度目は、薩摩軍が琉球侵攻をおこない、今帰仁城は焼き討ちにあったのです。1609年のことです。
2回とも、死者の数など詳細は不明ですが、戦場となったことは間違いないでしょう。このことは、忘れてはいけません。
Posted by usan at 06:06│Comments(0)
│今帰仁城の不思議なはなし
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