北山王が投げ捨てた名刀千代金丸

usan

2009年03月28日 22:09

千代金丸は、最後の北山王攀安知(はんあんち)が、志慶真川(しげまがわ)に投げ捨てた名刀です。

力は強いが評判のよくなかった今帰仁城の攀安知王は、周辺の按司からもよく思われていませんでした。中山王が北山を征伐に行くというので、周辺の按司はみな中山軍に加わり、中山連合軍になりました。その数3000名といわれています。

中山連合軍は3日間、今帰仁城を攻めましたが、難攻不落の要塞ですから、どうしても打ち破ることができません。
一計を案じた中山王は、守りの薄い志慶真川の絶壁から、使者を忍び込ませ、側近の武士だった本部平原(もとぶていはら)にわいろを送り、中山側に付くようすすめたのです。
計略にかかった本部平原は翌日、攀安知王をそそのかして外に出て戦わせ、そのすきに中山連合軍は裏門から攻め入ったのです。

激怒した攀安知王は、本部平原を切り捨て、自分を守ってくれなかった守り神カナヒヤブの霊石をたたき切り、自害しようとしましたが、刀が切れなかったので、志慶真川に投げ捨て、小刀で切腹したということです。

このときの刀が後に拾われ、首里王家に献上されました。それが千代金丸といわれています。


現在、那覇市歴史博物館に千代金丸が展示されています。金色に輝く美しい刀で、国宝に指定されています。
国宝の千代金丸は刀身は日本刀、にぎり部分は片手でつかめるよう、短くできています。

千代金丸が動画で見られます。おきなわBBtv。特別展示室をクリック。
動画の解説は、今帰仁の北山王から、首里城の尚王に引き継がれた、と言っています。

関連記事:今帰仁城伝説、宝刀千代金丸 ガイドと歩く今帰仁城跡
那覇市歴史博物館のホームページ
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